赤坂潭亭 米・酒 稲作とアジア

db4o2007-09-29

赤坂から赤坂通りを西へ10分ほど歩いたところを、ミッドタウンの方へ曲がると、なんとも和風な雰囲気を漂わせる料理屋がある。赤坂潭亭は、街の喧騒とは程遠い、そんな目立たない場所にある最高の隠れた名店だ。

初めて見たのは、まだミッドタウンが工事中だった、まだ寒かった頃だと思う。こんな場所でやっていけるのは、何よりうまいことの証だろう。実際、雰囲気・料理・酒、どれもがうまい!

こんなお店に来ると、日本ってすごい!、と改めて思うわけだが、果たして何がこんな文化を築き上げてきたんだろうか・・・。日本食の代表といえば、言うまでも無くすしと酒だろう。すしは刺身を使っているが、いわばおかず、メインは米だ。酒は米から出来ているので、つまり米三昧というわけだ。


それでは、その米のルーツとは?確か学校でジャポニカ種(写真、Wikipediaより)というのが日本の米のルーツと習った程度の記憶ならある。「稲作の起源」池橋宏著によると、長江流域を中心に栽培が始まり、それから二手に分かれる。一方はジャポニカ稲で、朝鮮を経て日本へと至る。もう一方はインド稲で、インドからタイやインドネシアを中心とする東南アジアへと普及した。

そもそも、どうして稲作がこれほど普及したのか。例えば畑作と比較した場合、それは単位あたりの農地から収穫できる効率に大きな差があるという。中世ヨーロッパで行われていた畑作では、肥沃度を回復させるために3年に一度麦を栽培し、さらに一年放牧をする必要があった。一方稲作は、驚いたことに、毎年栽培が可能なのだ。しかも、種を1とすると、畑作は5ぐらいなのに対し、稲作は50という収穫だったそうだ。そして、この恐ろしくパワフルな米のおかげで、東アジアでは高い人口密度を支えることができたのだという。


来年はしばらくぶらぶら旅行しようと考えていたが、米のルーツをたどるのも面白いかもしれない。そして各地で米をいただき、できれば日本の米をご馳走して、米のふれあいをする。

・・・などと考えていて気づいたが、だいたい家で米食ってないじゃないか。ということで、「かまどさん」なる火加減いらずのかまを早速買ってみることにした。まずはこれで米炊けるようになろう。


黒澤明監督の名作、「七人の侍」で、与平が大事な米を盗まれて、途方にくれて落ちている米を拾うシーンがある。昔から言われてきたことだが、米を大事にする気持ちを、忘れないようにしよう。