象の消滅

db4o2011-03-13

「燃料棒が水面から露出した可能性がある」

という事実を発表されて、一体どれだけの人が正しい判断をできるものなのかとふと疑問に思った。もちろん報道にはこう付け加えられる。

「安全だと判断しています」

しかしいつの頃からか、私たちはそれをたいして信じてはいない。

発表の後、早速テレビの解説員が、問題点について語り、私たちはごく浅い知識と混乱を手に入れる。より知ろうと思って他の番組を見れば、さらなる混乱に陥るだけときている。


私は家族に付き添って、ここ20年近くよく病院へ顔を出している。昔の先生は威厳や信頼感が全てだった。

「大丈夫です。私たちに任せてください。」

そう言われて、とにかく安心したものだった。

ところが数年前から、おそらく2007年頃から、先生たちの態度が変わったのを覚えている。その頃から先生達は説明を始めた。現在判明している事実、そしてそれに伴って発生しうるリスク。

例えば私の母などは、それによって混乱し、不安になるだけだった。

もちろん、正しく判断していけば、先生達の説明は一貫していたし、そのおかげで家族が不安に陥っても、これこれこうだと家族の中で解決することができた。

ただそれでも、一体どれだけの人が正しい判断をできるものか、この時も同じような疑問を持った。


原子力問題についても、病気のことについても、ウェブ上で様々な情報が手に入るようになっている。しかしほとんど場合、事実を判断するだけの十分な知識を持ち合わせていないし、信頼できる意見を説明してくれる友人もいるわけではない。

マスメディア離れが顕著な昨今、関係者は専門家による報道の信頼性を訴える。しかしマスメディアがあらゆる発表にかみつくように、我々も報道を信頼してはいない。

自分で判断すること、そして信頼に足る専門家とつながりを持つ事。象の消滅した今日に必要なのはそうしたことなのかもしれない。