オピニオンベース、セカンドナレッジ

オピニオンとは ~Wikipediaより~

An opinion is a subjective statement or thought about an issue or topic, and is the result of emotion or interpretation of facts.

In casual use, the term opinion may refer to unsubstantiated information, in contrast to knowledge and fact-based beliefs.


ナレッジベースというのはよくあるが、オピニオンベースというのは聞いた事がない。同じように、セカンドオピニオンというのはよく聞くが、セカンドナレッジというのは存在していないようである。

このことから、

  • ナレッジとは蓄積、検索可能だが、オピニオンは蓄積できないか、検索できない
  • オピニオンにはセカンド、またはサードやそれ以上、が存在するが、ナレッジは唯一無二である

と推測されるがそういうものだろうか。

何をくだらないことを言っているんだと思うかもしれないが、OpinionとKnowledgeの違いを自分の頭で考えてみようという、確かにくだらない試みである。

まず一点目であるが、なぜナレッジは蓄積されるのに、オピニオンは蓄積されないのか。両方とも文字で表現された文章であることは間違いない以上、蓄積自体は可能である。それではその蓄積されたデータベースの実用性から来るのであろうか。「オピニオンは検索しても意味が無い」のであれば、オピニオンベースが存在しない理由が説明できる。

しかし二点目で、オピニオンは1つ以上存在することが知られている。それならば、それらを検索できたら便利じゃないかと思う。

オピニオンは冒頭の定義にあるように、主観的な主張と、それらを強化するargumentsからなる。argumentsはニュースや数字などの客観的なものかもしれないし、純粋に感覚的で主観的なものかもしれない。しかし面白いのは、それらのargumentから導きだされる主張が主観的で、ひとそれぞれだということだ。

さらにこうして考えた場合、オピニオンとは何をMake It Happenさせたいのかという宣言だとも言える。客観的な事実などに基づく推測や推論よりも、それは行動を伴ったエネルギーのようなものだ。

日本人が持つ、なるようにしかならないあきらめ、のようなhaplessという無力感や悟りの境地ではなく、そこでもがき暴れてなんとかしようとする意思のことだ。

だとすると、そもそもオピニオンとはエネルギーであり、Writingsとして保存可能なものではなく、もちろん検索可能なものでもないと言う事ができる。

まとめ

  • オピニオンとは行動を伴ったエネルギーのこと
  • それがJustfiedTrueBelief(正当化され、正しく、信じられている)された時、その道は切り開かれた道路のように、ただ通過されるだけのナレッジとなる