仲直り

db4o2010-02-27

オリンピックを見ていると、時々美しさにしびれる。一瞬の表情だったり、動きの滑らかさであったり、何か迫るものを感じたり。そして大抵の場合、金を取る人が最も美しい。そうして考えると、強さを競う印象のあるスポーツという競技が、実は美しさを競っている芸術に見える。

浅田真央さんが「体に染み込ませる」という表現をオリンピック前のインタビューで使っていたが、なるほどその通りだと思う。スポーツでもイメージというのがあって、それに近づけるように練習すると思うのだが、その場合、イメージが曖昧なのか、イメージから肉体を動かす部分に不具合があるのか、肉体に問題があるのか、という問題に直面する。さらには、イメージそのものが、どうやって勝つのかというイメージそのものが、果たして勝てるイメージかという疑問も出る訳で。

もしスポーツが単なる肉体的な強さを競うだけであったら、事は難しくないのだが、美しさとなるとこれは厄介だ。なぜなら美しさとは心で感じるものであって、頭や体で完全には捉えられないからだ。私なんかの場合は特にひどいと感じるのだが、頭がやりたい事、体がやりたい事、そして心がやりたい事、それらがバラバラで、みんな好き勝手にやっているんだから。

オリンピックを見ていると、それをうまくまとめきらずに臨んでしまって、ちぐはぐになってしまう状況をよく見かける。というか、金メダリスト以外はどこかにちぐはぐさが残る。これは不思議だ。

まずはイメージ通り動けるようになることから始まって、それがどんな状況でもできるように、練習で体に染み込ませるのだけれど、これにはものすごい時間と忍耐が必要になる。頭と心は瞬間移動したり時間を超える事ができるけど、体だけはそうはいかない。もうほとんど言う事を聞かない。役立たずだといやになる。それでも、イメージ通り体が動いた時、なんとも言えない一体感、喜びがある。だからそれはもう遠足の引率の先生みたいなものだ。おかしを食べだしたりどっかへ走って行ってしまう子供達をなんとかあやしながら、目的地まで連れて行くようなものだ。

そして結局のところ、肉体と仲直りするしかない。一方的な主張を止めて、共同作業にしなくてはいけない。

きれいに直って帰ってきたラッパが、そんなことを教えてくれた。