機械仕掛けの人間

Many people today believe that AI is alive and well and just waiting for enough computing power to deliver on its many promises. When computers have sufficient memory and processing power, the thinking goes, AI programmers will be able to make intelligent machines. I disagree.

これは、PDAという分野を切り開いたPalmの創業者、ジェフホーキンスが書いたOn Intelligenceの一節です。未だに犬も猫も見分けがつかないAIが、かつてさかんに映画化されたロボット(人口知能)の現在の姿であって、将来についても望みは無い、というのです。

この本は確か数年前にサンフランシスコで買ったのですが、このことがそれからずっと私の頭に引っかかっていました。

これは確かにAIというコンピューターについて語っているのですが、それはつまり知性とは何か、という価値観の問題に思えてきたのです。

例えば、ジャズ批評を読んでジャズについて蘊蓄を話す事が知性ですか?成功事例を学習して、最も過去に成功したパターンをなぞるのが知性ですか?次から次に問題を解かせることで知性は身に付きますか?

つまりこの価値観が、自分に対しても、他人に対しても、そしてコンピューターに対しても現れているのではないか、また、それをジェフは言いたかったのではないか、と思えてきたのです。


保険というのは、それまで制御不能だったリスクを金銭的に補償し、人類の繁栄を加速させてきたものだと思います。統計を取り、仮説を立て、予測を立てる。過去を解析することで将来を改善している成功例の一つがその保険です。これらの根底には確率論があり、ありそうなこと、ありそうにないことを予測しています。そして同様の理論がAIにも展開され、パターンを構築し、それを認識させ、対応する行動を起こさせます。

そう、ここで、また知性の問題に戻ります。それではそのパターンを多く持つ事、その多くのパターンを素早く処理する事が知性なのか、という問題です。

人間で考えると、それはどういう人でしょうか?少なくとも子供ではありません。

だとすると、なぜ子供はパターンに無いことに対処できるのでしょうか?全て親が見ていなくてはなりませんか?なぜ若者は経験豊富な先輩に思いつかないことをやってのけるのでしょうか?そういう彼らはたいてい大人を嫌っていませんか?


予測できない、パターンにないことに対処する能力。それが知性なのではないでしょうか?その場合、過去の経験から過去とは異なる変化を察知して新しい事に注意する、という意味でパターンの集積は知性だと言えますが、それ以外の場合はむしろ悪影響しか及ぼしません。

例えばスポーツだと、戦略よりも、走ったり飛んだりする基本的な能力であり、音楽ではアドリブを展開する能力(音楽性と演奏スキル)などであり、不断の努力によってのみ得られるものではないでしょうか。*アドリブのパターンを真似てアドリブしているのはダメ


つまり現在のAIの擁護はこうも聞こえるのです。

「十分なパターンが欲しい」 ある機械仕掛けの人間の望み

しかしそれは永遠に叶うことはないのです。