db4o2008-07-19

あることについて、時には、一切の前提条件を脇に置いて考えてみなければ、分からないならないことがある。

それは、そのことをよく知る人から話を聞いたり、見て学んだりすることではなくて、そのことを取り囲む環境についてよく観察し、1から自分の頭で考えるという作業を必要とする。

例えば、初めてジャズを演奏した人はそれがジャズだと知らなかったし、それを聞いた人も、変わった奴だなー、なんて思いながら、幽霊みたいに頭の上をひらひらするへんてこな音について思い出したりしていただけのはずだ。

さらに言えば、五線譜とドレミの音だって、西洋の音階のシステムを前提にしているわけで、ドレミの音階を定めた瞬間に、多くのもの得たと同時に、それと引き換えに多くを失ってしまったのだ。

あとは熱力学の第二法則に従って、エントロピーを増大させていくだけだ。つまり、全てのものが”混沌”で”まったり”してくる。

さて、最近はフィルモアアドバイザリーのみんなとワイワイやっている。多くの学生達と一緒に「疑い」に対して闘うのは楽しい。「風の歌を聴け」もそうして薦められて読んでみたものだ。

資本主義の中で自分の人生を捉えるのではなく、もっと大きな枠組みの中に現代の資本主義を捉え、何か白い芽を出せたら、少しは俺たちの疑いが晴れるのだろうか。

なーんていいながら、昨日みんなで観に行ったマッスルミュージカル今夏初公演を思い起こし、スティービーワンダーの曲で青空ジャムセッションやりてえなーと企画中。