db4o2008-07-27

トリックというテレビドラマがある。仲間由紀恵阿部寛が、怪しげな新興宗教のトリックを暴くというものだ。

トリックを解くストーリーがもちろん主題だが、いつも番組の最後に、トリックを暴かれて行き先を失う信者というものが描かれる。

村上春樹氏の「約束された場所で」は、そういった行き先を失った信者、地下鉄でサリンを撒いたオウム真理教の信者へのインタビュー集である。

信者たちは、世間から見たらというのはどうあれ、その団体に安息を覚え、救われたと感じている。

例えばトリックに登場するあの奇妙奇天烈な団体。あれは誇張かもしれないが、しかしそうであればあるほど、そこに居場所を見つけた信者のその後、というのがクローズアップされるように思う。


「それはやっぱりね、世間を騒がすのはだいたいいいやつなんですよ。(中略)よく言われることですが、悪意に基づく殺人で殺される人は数が知れていますが、正義のための殺人ちゅうのはなんといっても大量ですよ。」

河合氏が対談の中でこう話しているが、何人かの信者が話しているように、「殺されても後で救われるからいいことなんですよ」というような理屈で彼らにとっての善へと進むことができる。

善と悪は絶対的なものではない。自分が善だと主張してみたところで首をひねられるのが落ちだが、相手を悪にすることによって、自分は善になることができる。そういう意味で、善悪で物事を考えるのは大変危険である。


心理学者のユングが、他者の中に自分の悪の部分を”投影”しない人間が増えることを祈るしか無い、というようなことを言っていたが、さて、どうしたものか。

まあ遠足にはおやつが必需品だったように、探検には本と楽器の暇つぶしセットが必須かと。