困った問題

Arrow of Time and Entropy, Iwan Gloorより

Time seems to have a preferred direction in the macroscopic world.

「時間」にはどうも好みの向きがあるっぽい

ふむふむ。

Many processes occur just in one direction i.e. the direction of (global) increasing entropy (2nd law of thermodynamics).

どれもエントロピーが増大する方向へ

素人には随分ややこしい内容だけども、この締め:

Approach by Maccone: Every global entropy decreasing transformation must entail a memory erasure of this transformation having happened, which is indistinguishable from their not having happened at all.

エントロピーが減少するにはその情報が消去されなくてはならない。しかしながら、情報が消去されてしまうと、それ自体が起こらなかった状態と区別することができない

はいやな感じです。

例えば家の前にあるイチョウの木に葉っぱが戻ったとします。エントロピーが減少した=時間が戻ったわけですが、そのイチョウが枯れていたという記憶がないわけですから、「なかなか枯れないイチョウだな」、ということになるんでしょうか。それならもし、そういう変化が至るところで起こっていても、誰も気がつかないことになります。まったく、困ったもんです。いや、実際には誰も困ってないんですけどね。

ショーシャンクの空に

db4o2011-01-17

村上春樹夏目漱石の共通点を挙げた作家がいる。名前は忘れた。

共通点とは、しがらみが無いこと。

文学、小説、映画。どれもこれもしがらみでがんじがらめという中でもがき、暴れ、絡めとられ、あきらめ、たまにはそういうのを超越しちゃうヒーローだったりという作品が多いが、つまりそういうのが無い。

社会に出て誰もが苦労しているしがらみ、という設定を取らないのだ。問題にさえなっていない。だからそこにはありきたりの言い訳が存在してない。現実にありがちな言い訳を許さないから何かを突きつけられることがある。

映画「ショーシャンクの空に」を見た。Tim Robbins演じるアンディを見て、そんなことを思い出した。

情報エントロピー、アドリブ、マンモス

もう何年前からだろう、いたる所でバックグラウンドミュージックとしてジャズが流れるようになったのは。まあ、嫌なことではないんだけど、好きじゃない。

ジャズに限らず、例えばポップミュージックでも、コード進行、売れるコード進行を見つけるのが音楽だと思えたりする。飽きられるまで使い倒す。

最初は新鮮さで色鮮やかだった驚きも、すぐに錆び付いてぼろぼろになる。そう。エントロピーが増大したのだ。

ジャズいこーるアドリブ?

未だにチャーリーパーカーが理解できない、私は根っからアドリブ音痴であり、幸いアドリブのうんちく、どのプレイヤーが誰の影響を受けているかについて頭を悩ませることがない。

不幸にもそうした才能を持った人たちは、新しいアドリブを求めて、増大したエントロピーを引き下げようと奮闘する。


ただ、情報エントロピーって物理的に存在していないんじゃない?つまりその、日本に来た外国人が何でも無いたたみの部屋に感動するのは、あくまでたたみの部屋のエントロピーが低いからじゃなくて、たたみの部屋に対するその外国人のエントロピーが低かったんだよ。

そうして双方向から情報エントロピーについて考えてみると、特定の情報だけものすごい勢いで世界中で数時間のうちに情報が伝搬する時代というのは、凍ったマンモスが次々に誕生する情報氷河期なんじゃないかってこと。

情報の受け手の質を問う類いのあらゆる情報は、マンモス化しつつあるのだ。


じっくりと凍ったマンモスを削り、アドリブにならない音を出す。そういうことが楽しめることこそ、豊かさの現れなのかもしれない。