情報エントロピー、アドリブ、マンモス

もう何年前からだろう、いたる所でバックグラウンドミュージックとしてジャズが流れるようになったのは。まあ、嫌なことではないんだけど、好きじゃない。

ジャズに限らず、例えばポップミュージックでも、コード進行、売れるコード進行を見つけるのが音楽だと思えたりする。飽きられるまで使い倒す。

最初は新鮮さで色鮮やかだった驚きも、すぐに錆び付いてぼろぼろになる。そう。エントロピーが増大したのだ。

ジャズいこーるアドリブ?

未だにチャーリーパーカーが理解できない、私は根っからアドリブ音痴であり、幸いアドリブのうんちく、どのプレイヤーが誰の影響を受けているかについて頭を悩ませることがない。

不幸にもそうした才能を持った人たちは、新しいアドリブを求めて、増大したエントロピーを引き下げようと奮闘する。


ただ、情報エントロピーって物理的に存在していないんじゃない?つまりその、日本に来た外国人が何でも無いたたみの部屋に感動するのは、あくまでたたみの部屋のエントロピーが低いからじゃなくて、たたみの部屋に対するその外国人のエントロピーが低かったんだよ。

そうして双方向から情報エントロピーについて考えてみると、特定の情報だけものすごい勢いで世界中で数時間のうちに情報が伝搬する時代というのは、凍ったマンモスが次々に誕生する情報氷河期なんじゃないかってこと。

情報の受け手の質を問う類いのあらゆる情報は、マンモス化しつつあるのだ。


じっくりと凍ったマンモスを削り、アドリブにならない音を出す。そういうことが楽しめることこそ、豊かさの現れなのかもしれない。