生きるか生きるか

夏目漱石の講演に、「現代日本の開化」というものがありますが、講演の最後に、次のようなことを話しています。

とにかく私の解剖した事が本当のところだとすれば我々は日本の将来というものについてどうしても悲観したくなるのであります。外国人に対して乃公(おれ)の国には富士山があるというような馬鹿は今日はあまり云わないようだが、戦争以降一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。

この講演が行われたのは1911年。日露戦争の6年後、明治で言うと44年にあたります。

この時代のことを考えてみると、開国から50年ちょっとでロシアに勝つにまで至った時のことですから、列強に怯えてきた幕末からのことを考えると、きっと希望に満ちていたのではないかと思われます。ところが漱石は悲観しています。

ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。

そして講演をこうして締めくくるのです。

それではどうしてこうも悲観するのかという理由が面白いのですが、次のようなものです。

すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変わりはなさそうである事は前御話しした通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に因って吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮を滑って行き、また滑るまいと思って踏張るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。

何が面白いって、これが明治のことをさしているとはとても思えないことで、これを現代の言葉に置き換えてみれば、全くその通りと言うしか無い。

今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかと云う競争になってしまったのであります。生きるか生きるかと云うのはおかしゅうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないという意味であります。

この同じ年に、漱石はもう一つ講演をしています。「道楽と職業」というものですが、これらが3年後に、「私の個人主義」となってまとめられたと言って差し支えないと思います。

何にせよ、漱石が講演をしてから来年で100年。未だに外発的な力による開化を押し進めているとあっては申し訳ない。道楽と職業が5:5ぐらいでやれるようになりましたと、そう笑顔で話せたらいい。