ホワイトホース

例えば、外国に住んでいる人から、「ジャズ見に行きたいんだけど、どっかいいとこ知らない?」って聞かれたとする。さて、どこへ連れて行きましょう?

最初に考えるのはその人の嗜好。いわゆるジャズの雰囲気を楽しみたいというなら、ブルーノートを始めいろいろあります。そうではなく、音楽を楽しみたいとなると、これはちょっと考える必要がある。

演奏する人。それから、場所。


「こういう何人もお客さんが入らないお店でこんなライブをやろうっていう発想がないと思う」

1stと2ndの合間の休憩で、彼女はそう言った。私たち三人が座るソファ、その前にあるカレーとかトマトライスをのせたテーブル、さらに反対を向いたソファを挟んでバンドがいる。類家心平カルテット。

今回初めて来た小岩のCochi。スピーカーを使わないスタイルに期待していたのだが、幸運にもそれは知人たちを喜ばせた。


カナダの小さな町、ホワイトホース、白い馬という町に彼女は住んでいる。町を流れる川は急で、ある場所では、白馬が踊るような水しぶきが上がっているそうだ。そこは冬場にはマイナス40度にもなる、北緯60度の、自然の中に閉じ込められたような町だという。残念ながらジャズのライブハウスはない。ところが演奏家は多く住んでいるという。


演奏家の父にバイオリンやピアノの教育を厳しく受けたせいで、彼女は即興演奏が出来るが、甘やかされた弟には楽譜が必要だ。常にイメージを介在させて演奏できるかどうかなのだが、楽譜から演奏という機械的な作業と、楽譜からイメージ、イメージから演奏という作業の間には、何かとてつもなく大きな壁があるように思える。私は、電車に乗り遅れてプラットフォームに一人残されるような即興演奏ならできる。でもそんな私でも、なんか突然イメージが流れ込んできて、頭の中でメロディーが流れ出すこともあるのだ。ただそれは夢のように、つかみ所もなく、後で思い返すこともできない。今度は通過する急行電車のように、走り去ってしまうのだ。


そういうイメージ、イメージの猛吹雪、イメージの大波、それらはあまりに凄まじいので、なす術もなく飲み込まれてしまう。それが類家心平カルテットだ。いわゆるメロディーやコード進行のような、誰もが先を予想しながら、それをじらしたり裏切ったりという軟弱な演奏ではない。予想など許さない、猛吹雪、大波。後は全神経を集中して、それに立ち向かうしかない。恐らく、彼らも闘っているのだ。


なんか悔しかった。類家のハーマンミュートのコントロールされて美しい音、力強いA5、まっすぐなロングトーン。おしゃべりのような音の数々。「生と死の幻想」のようなハクエイと鉄井。そしてピーターアースキンのような吉岡。不協和音のようで、バラバラなメンツのようで、でも完全に飲み込まれてしまう。


類家心平カルテット。もうそれは、made in Japanのデジカメのように、外国人に自慢できるものになっていた。