村上春樹の短編小説に、「象の消滅」というのがある。ある日突然象が消滅してしまう話なのだが、これほど非現実なのに、なるほどありそうだな、と読んでいると惹きつけられてしまう。

小説の語り口が新聞の記事のようになっているのだが、その、ありそうだな、というのは、確かに新聞を読んだり、ニュースを聞いたりする時の感覚と同じかもしれない。しかも、象がぽつりと消滅するのを引き立たせるために、象の檻が1つしかなくて、そこに象が一頭いるというシチュエーションを設定している。どう設定しているかはぜひ読んで欲しい。通常はどう考えたってそんなシチュエーションありえないのだから。

ただ何にも増して、この「象の消滅」が魅力的なのは、そのテーマ、象が消滅するということだ。


このテーマが厚みを持って見えるようになったのは、村上氏が好んで翻訳しているレイモンドカーバーの作品を読んでからだった。それは同じように短編小説で、タイトルは「Elephant」、そのまま象である。レイモンドカーバーの作品は、誰にでもありそうな事のつながりで、とんでもない事態に陥るものが多いが、これもそういった作品のひとつだ。

ひょっとすると、ここで象徴的に語られる象、そしてそこにあるのは象の不在なのだが、まさにそれを「象の消滅」でも表しているのではないか、と。


でも何もそんなに詮索する必要は無い。象のような何か。象と言って思いつくもの。そういうものが消滅した、そういうことなのだ。