高村光太郎はなぜ詩を書いたか

一流であるためにはそれに専念しなくてはならない。いつからかこんなことがまことしやかに言われるようになったのか。
それは一流であると見られたければ、という意味ではないか。

高村光太郎は、「自分と詩との関係」の中でこう述べている。

私は何を措いても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある。私の彫刻がたとい善くても悪くても、私の宿命的な彫刻家である事には変わりがない。

そしてこう続ける。

ところでその彫刻家が詩を書く。それにどういう意味があるか。以前よく、先輩は私に詩を書くのは止せといった。そういう余技にとられる時間と精力があるなら、それだけ彫刻にいそしんで、早く彫刻の第一流になれという風に忠告してくれた。それにも拘らず、私は詩を書く事を止めずに居る。

なぜか。

それはぜひ読んでいただきたい。「自分と詩の関係」を。


私は高村光太郎の彫刻が好きだ。高村光太郎記念館にひっそり置いてあるあの彫刻は、いつまで見たってあきない。

でも詩も好きだ。「木彫りウソを作った時」の、ウソを毎日懐に入れて持って歩き、飯屋でもそれを見ながら食った話が好きだ。そしてまだ健康だった智恵子さんが、私にも持たせてくれとせがんだんだ。


文学界新人賞の一次選考にも残らなかった私の作品の、多少のいい訳である。