レイモンドカーヴァー、村上春樹に学ぶ
「ノルウェーの森」の映画化が決定した。いち、村上春樹ファン、としては楽しみであるが、かなり複雑である。
というのも、村上春樹氏の作品の面白さ、特に何度読んでも飽きない、読むたびに新しい発見がある仕掛けが、映画では働かないのでは、と邪推しているからだ。
村上氏が随所で書いてあるように、故レイモンドカーヴァー氏を村上氏は好んでいる。レイモンドカーヴァー作品の特徴は、日常生活にごくわずかずつの異物を少しずつ加えていき、最後にはとんでもない世界をみせることだと思う。この、ごくわずかの異物、は村上作品にもありとあらゆる所に散りばめられている。
この、ごくわずかな違い、は、読者の頭の中に空白を造る。あまり意識せずに読み進めると、そこは類似のシチュエーションで置き換えられ、何事も無かったように物語は展開する。
しかし、それをしっかりイメージしようとすると、どうにも厄介である。つい、にや、っとしてしまう。
つまり、村上作品は、大量の空白に満ちている。そしてそれらの空白は、読者がその時その時に応じて埋める(読者が創造する)わけだが、そのために読者によって、または読んだ時期によって印象が変わり、何度読んでも新しい発見をするように感じるのではないか。
このような、ごくわずかな違い、は、茂木健一郎氏の言うアハ体験と相通ずる。そしてこの部分が、他の小説と一線を画す大きな要因の一つではないか、と思う。
このような違いを意図的に演出し、検索による体験を面白いものにしようと試みている。
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