「平均への回帰」を生きた哲学として活用する

日本が開国で浦島太郎化している明治時代、ダーウィンの従兄弟でぼんぼんのゴルトンがえんどうまめで発見した「平均への回帰」だが、先ほどの「ベルカーブのおり」、そして「エントロピー増大の法則」と共に、直感的に気に入らない。

ある環境下では、ある特徴を持つ確率が高い、ということ以上のものではないと思う。

例えば、えんどうまめを五大陸に分散させて栽培してみたらいい。きっと5箇所の平均に回帰する。なぜか。土壌や気候はその土地固有のもので、植物はそれに影響を受けるからだ。

逆に言うと、これを人について考えた場合、ニーチェが「この人を見よ」の中で言っている、”栄養の選択、土地と風土の選択、休養の選択”が人を決定するという話と同じではないか。

自分に適切な選択を行えば、自然とうまくいく、そう言っていると考えるのはどうだろうか。